日記 渋谷散策 ―悪名高きミヤシタパークへ―

日記 渋谷散策 ―悪名高きミヤシタパークへ― 2020.9.18

 昨日は午前中、本を読んでいた。「大河の一滴」という本である。昔から我が家の本棚に鎮座していた本で、確か母親のものだった。大昔の自分が読もうと思ったのだろう。物が散乱している私の汚い机から発掘されたので手に取ってみた。

 

 勝手に小説かと思っていたら、随筆らしい。ブッダ親鸞の考えに倣っているらしく、「人生とは苦しみの連続だ」とか何とか書かれている。「昔に比べて現代は便利になったが、それでも人が抱えている苦しみの大きさは変わらない」的なことも書かれていた。これには、成るほど、そんなものかも知れないな、と思ったが、語られている死生観や価値観にはあまり共感できなかった。読んでいるのが苦しくなってきたので、確かに人生は苦しみの連続だな、と思って一旦本を閉じることにした。またいつの日にか開こう。

 

 読書を終了したくらいのタイミングでインターホンが鳴り、Amazonからデカい荷物が届いた。キャスター付きの収納ボックスみたいなやつである。屋上用だ、と親が言っていたので屋上に運んでおいた。何に使うのか知らないが、多分死体でも詰めておくんだろう。

 

 特にやることもないので渋谷散策をすることにした。恵比寿から明治通りを歩いていくと左手に渋谷ストリームが見える。このあたりは随分と新しくなった。稲荷橋広場あたりの景色はおしゃれな感じにも思えるが、何しろ目の前を流れている渋谷川が半端なく臭いので台無しである。

 「渋谷」という地名の由来にもなったと言われる渋谷川関東ローム層が何とかで昔は鉄が溶けて赤みがかった渋色の川だったらしい)は今ではすっかりドブ川なので、街自体もドブ谷と改名してもいい頃だろう。ドブ谷109、ドブ谷スクランブル交差点。昔の闇市っぽさが出ていて悪くない響きだ。

 

 そんな渋谷川の香りを堪能した後は、悪名高きミヤシタパークに行ってみた。

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ミヤシタパークのクソキモコンセプト

 卵にキャラメルを混ぜるという画期的な建築方法で出来上がったらしいこの複合商業施設は、なるほど、外観からしてもケィオス(ネイティブ発音)な感じがする。全体的に灰色で鉄っぽく無骨ながらもスタイリッシュな雰囲気と、公園の緑、渋谷横丁という飲み屋の妙に暖かな雰囲気が実にミスマッチだった。多様性、多様性。

 結果的に色々なものが混ざり合って出来たケィオス感と、人工的に作り上げられたケィオス感は全く違うものだなと思ったが、まあ一般的には最先端で優れたデザインなのかもしれない。アパ社長の家の感じとも似ているなと思ったが、個人的にはあっちの方がまだセンスがあって好みだ。

 

 中に入ると自分のことをおしゃれだと思っていそうな人が沢山いた。事実そうなのかもしれない。私のような陰キャには入りづらい店が沢山並んでいる。暑い中1時間も歩いたのでTシャツに汗が染みており一層この空間にいることが憚られたが、折角来たので幾つか店を見て回った。居心地が悪くて苦痛である。人生は苦しみの連続、午前中に読んだ説教臭いあの本は当たっていた。

 

 屋上に上がると「公園」が広がっている。風は強かったが、芝生や木々があって快適な環境である。治安が悪かった旧宮下公園と比べれば、憩いの場にはなっているだろう。まあ公園だのパークだのと名乗るなら、営業時間があったり、スケートボードをするのに金がかかったりするのは随分とおかしな話で、文句もあるが、ここではこれくらいにしておこう。デパートの屋上と特に変わらない、という感想だ。

 

 帰りはスクランブル交差点に寄り道した。3,4月頃にはニュースでスクランブル交差点に人がいない的な映像が流れていたが、随分復活していたので何よりだ。スクランブル交差点は相変わらず、色んな臭いが混じった甘ったるい臭いがする。臭え。安心する臭さ。人の営みの臭いだ。ああ、これが渋谷だよな、と思いながら歩いて帰路についた。まあ10kmくらい歩いたか。以上、昨日の散策。