麻布十番と蕎麦

麻布十番と蕎麦

 

 

 最近は大分涼しくなってきた。この駄文をしたためている間にも外からは鈴虫の鳴き声が聞こえる。しばらく外出という外出もしていないうちに、すっかり夏も終わったようだ。

 秋と言えば蕎麦が食べたくなる。夏蕎麦も美味しいが、やはり旬に食べたいもの。秋の新蕎麦(秋新)は薫り高く味も良いと評判だ。

 (そういえば「夏蕎麦は犬も食わぬ」なんて言葉があるけど普通に夏蕎麦も美味しいと思う。私が馬鹿舌なだけか?)

 

 私の最寄り、麻布十番駅周辺には蕎麦屋が何件も立ち並んでる。年末になればテレビ局のカメラが入ることもあり、店前に列をなして年越し蕎麦戦争の様相を見せる。どの蕎麦屋が美味いか?それは私にも分からない。

 まずもって十番には似たような名前の蕎麦屋がある。更科系の三店、麻布永坂更科本店、長坂更科布屋太兵衛、更科堀井である。幼少期から当たり前にあったので、あまり不思議にも思わず、てっきり暖簾分け的な感じかと思っていたが話はそう単純でないらしい。Wiki様と店のホームページの沿革なんかを頼りに、私自身の勉強がてら紹介していこう。

 

更科蕎麦とは ー蕎麦御三家ー

 そもそも更科とは何ぞやという話である。江戸の町には沢山の蕎麦屋があったが、大きく三つの系統があったらしい。江戸蕎麦御三家「砂場」「」「更科」である。

 いいねえ。こういう御三家とか言う響き、つい浪漫を感じてワクワクしてしまう。

 

 「砂場」は大坂を起源とする蕎麦屋で、大坂城築城の際に資材の砂置き場に店を構えたのが由来らしい。虎ノ門にある『虎ノ門大坂屋砂場』、日本橋室町にある『室町砂場』(天ざる、天もり発祥の店らしい)、砂場系統2つのうちの本家で最も歴史が深いという南千住の『砂場総本家(南千住砂場)』などがあるらしい。ほ~ん。

 

 続いて「藪蕎麦」。緑の蕎麦という印象しかなかったが、これは蕎麦の若芽を練りこんだからだそう。つゆを少ししか掛けないというのが江戸の粋な食べ方だったらしく、つゆが塩辛いのが特徴らしい。「藪」という名称は、雑司ヶ谷にあった「爺が蕎麦」というお店で、竹藪が繁茂していたことが由来だそうだ。

 藪蕎麦について調べていたら「枯淡な感じで、気取りがなくて、あか抜けている。」なんて表現があった。枯淡っていい表現だな。今度から使おう。そんな藪蕎麦の老舗は本家筋の「かんだやぶそば」、浅草雷門にある「並木藪蕎麦」が有名みたいだ。

 

 「更科」。信州高遠の保科松平家の御用布屋だった堀井家の8代目堀井清右衛門が、寛政のはじめ(1789年)に、江戸麻布永坂の三田稲荷の下で「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」と看板を掲げたのが始まりらしい。「更科」というのは堀井家の故郷信濃の、蕎麦の集散地だった更級と、領主保科家から一字ずつ頂戴したものだそうだ。

 随分と前史が長くなった。ここからその後の騒動を見ていこう。(ややこしいので適宜飛ばしてください笑)

 

 

「更科」を巡って

 

 1789年に開業したこの店は、将軍家御用となったり、増上寺と誼みがあったりで随分と繁盛したらしい。江戸買物独案内とかいう江戸のグルメガイドブックにも「御膳 麻布永坂高いなりまへ 更科蕎麥所」とある。こういうの見られるの面白いよね。

  江戸買物独案内 2巻付1巻. 飲食之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 神田や深川なんかに分店、支店ができ、麻布永坂一門は8店舗にまで拡大。が、昭和に入り、世界恐慌の煽りを受けるなど経営は厳しくなり、昭和16(1941)年に廃業。

 

『麻布永坂更科本店』

 戦後、1948年に馬場繁太郎という料理人が『永坂更科本店』を開店。これは布屋太兵衛の七代目堀井松之助と馬場繁太郎との間で、「永坂更科」の商号の使用に関して公正証書による契約を結んだことによるもので、1950年には『麻布永坂更科本店』と名を変えた。馬場繁太郎という人は元々戦前から港区内で食堂を営んでいたらしい。

 ➡『麻布永坂更科本店』 お店は新一の橋にあります。商店街のメインストリートからは少し離れたところですね。

www.sarashina-honten.com

 

『永坂更科 布屋太兵衛』

 1949年、七代目堀井松之助、麻布十番商店街の小林玩具店麻布十番商店街組合長により、合資会社麻布永坂更科 総本店』が設立された。一応伝統の暖簾が復活したかたちということらしい。この時に「永坂更科」の店名商標登録が法人取得されている。

(というか小林玩具店って今も十番にあるんだよね。創業は1867年。そんなことにも携わってたのか。)

 

 さて、その後『麻布永坂更科 総本店』は、商号侵害をめぐって上の『麻布永坂更科本店』と調停を行い、両店とも同じ商号を使うことに(1984年にも争っている)。そこからは良く分からないが、1959年小林玩具店小林勇が『永坂更科 布屋太兵衛』を設立。

 ➡1959年、この『永坂更科 布屋太兵衛』が『麻布永坂更科 総本店』を吸収合併するかたちで現在も続く『永坂更科 布屋太兵衛』がオープン。商店街のメインストリートにあります。「布屋太兵衛」もこのあたりで商標登録されたっぽい。

www.nagasakasarasina.co.jp

 

総本家『更科堀井』

 1960年、後の『更科堀井』の八代目、堀井良造は永坂更科 布屋太兵衛』に入社。専務取締役となったが、1984年会社を離れ独立。創業者の血筋である堀井家のもとで再興したいという思いから、信州更科 布屋総本店」を開店。後に、店名の「布屋」の使用権を巡って裁判となり、「更科堀井」と改称した。

 ➡暗闇坂を降りたところにある、総本家更科堀井」。十番商店街でいえば六本木方面にあります。

www.sarashina-horii.com

 

 

 っとこのようなストーリーらしい。Wiki様はかなり複雑に書かれていたので、随分端折って分かり易く書いたつもりだがどうだろうか。 まあ蕎麦が美味しければ何でもいいか。

 

 

感想とか

 紆余曲折を経た麻布十番の更科系蕎麦三店だが、最近三店とも店主が代わったみたいで世代交代を感じた。個人的には一の橋にある『麻布永坂更科本店』が好み。

 麻布十番には他にも美味しい蕎麦処があり、仙台坂下にある『松玄』や『川上庵』なども有名。まさしく蕎麦激戦区だ。

 秋蕎麦を食べたくなったら是非麻布十番に足を運んでみてはいかがだろうか。

 

  そういえば、高校時代に福島へ行って自分達で打った蕎麦の美味しさが未だに忘れられない。友人2人と例の限界野営旅行をした時のことだと記憶している。

 素人が一部切ったので太さはバラバラで厚過ぎる程だったが、コシがあり、冷たくて本当に美味しかった。

 野営のせいで生死を彷徨った後だったからなのか、思い出補正なのか、はたまた、自分で蕎麦を打ったからなのかは分からないが、もう一度食べてみたいなと思う。

 将来は蕎麦でも打つかな。